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広島地方裁判所 平成8年(行ウ)24号 判決

原告

甲野二郎(仮名)

右訴訟代理人弁護士

松本晶行

北尻得五郎

桂充弘

工藤展久

第一事件被告

広島市西区長 神田博史

右訴訟代理人弁護士

樋口文男

右指定代理人

大野俊浩

三好博人

三島英男

原義明

空田敏行

第二事件被告

広島市長 秋葉忠利

右指定代理人

池下朗

長尾健二

猪原征義

中川武志

柳田勝一

有本幸子

畠山京子

清水幹雄

被告両名指定代理人

伊達秀宣

吉村香織

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第二 事案の概要(当事者間に争いのない事実)

一  当事者

原告の父である甲野太郎(平成五年三月二五日死亡、以下「太郎」という。)の死亡時における住民登録上の住所は広島市西区草津南〔番地略〕であって、同人は広島市西区が行う国民健康保険の被保険者であり(国民健康保険法五条)、また、同人は原子爆弾の被爆者であって、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年三月三一日法律第四一号)三条に基づき、被爆者健康手帳の交付を受けている者であった。原告は、同人の葬儀の葬祭執行者であり、国民健康保険法五八条、広島市国民健康保険条例五条に基づく葬祭費の受給権者であり、かつ、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和四三年五月二〇日法律第五三号)九条の二に基づく葬祭料の受給権者である。

二  前提事実

1  甲野一郎らによる葬祭費等の請求

原告の兄である甲野一郎(以下二郎」という。)及び同人の母甲野花子(以下「花子」という。)は、平成五年六月一一日、広島市西区役所において、被告広島市西区長に対して太郎の死亡に係る国民健康保険葬祭費(以下「本件葬祭費」という。)の、被告広島市長に対して同じく原子爆弾被爆者葬祭料(以下「本件葬祭料」という。)の各支給申請手続をそれぞれ行ったところ、本件葬祭費の四万円については同月二一日に、本件葬祭料一四万円については同月一七日に、それぞれ広島銀行己斐支店の原告名義の普通預金口座(口座番号××××)に振込送金の方法により支給された。

2  原告による葬祭費等の請求

原告は、平成七年一月四日、広島市西区役所において、被告らに対して本件葬祭費及び葬祭料の各支給申請手続をそれぞれ行った。

3  被告らの不支給決定処分

(一)  被告広島市西区長は、平成七年一月一二日、原告の前記申請に対し、本件葬祭費は既に原告に対して支給されているとの理由で、不支給決定処分(以下「本件処分一」という。)を行った。

(二)  被告広島市長は、平成七年一月一二日、原告の前記申請に対し、本件葬祭料は既に原告に対して支給されているとの理由で、不支給決定処分(以下「本件処分二」という。)を行った。

4  審査請求

(一)  原告は、平成七年二月一一日、本件処分一に不服があるとして広島県国民健康保険審査会に対して審査請求を行ったところ、同審査会は、平成八年六月一九日、右審査請求を棄却する旨の裁決を行った。

(二)  原告は、平成七年二月一一日、本件処分二に不服があるとして広島県知事に対して審査請求を行ったところ、同知事は、平成九年二月四日、右審査請求を棄却する旨の裁決を行った。

第三 本件の争点

一  一郎及び花子は、原告の使者あるいは代理人として本件葬祭費及び葬祭料の各支給申請手続を行ったといえるか。

二  仮に一郎らに代理権等が存しなかった場合、被告らの担当者において、申請者本人の同一性確認についての注意義務違反が存しないとして、被告らは本件葬祭費及び葬祭料の各支給が原告に対して有効にされたことを主張することができるか。

第四 争点についての当事者の主張

一  原告の主張

1  原告は、一郎及び花子に対し、本件支給申請手続を委任したり、本件葬祭費等の受領の権限を与えたことはない。

2  被告らの担当者は、申請内容の当否を判断するために申請者から提示を受けて確認すべきとされている死体火(埋)葬許可証(以下「火葬許可証」という。)等の証拠書類一切につき、その原本の提示を受けることなく写しを申請書に添付させたのみで済ませている。したがって、本件各申請行為をした一郎と原告本人もしくはその代理人又は使者とを誤認するについてやむを得ない事情も存しない。

二  被告らの主張

1  一郎及び花子が、本件葬祭費等の各支給申請の際、「葬祭費の申請に必要な書類」と題する書面、火葬許可証、死亡診断書、「甲野歯科診療所甲野二郎」名義の普通預金通帳の各コピー及び太郎の被爆者健康手帳を持参していたこと、本件各支給申請手続の経過に照らせば、一郎及び花子が、原告から本件各支給申請の指示を受け、原告の使者として本件各支給申請を行ったことが推認できる。

2  仮に一郎らが原告から代理権等の授与を受けておらず、かつ、原告の使者ということができないとしても、被告らの担当者は右に述べたとおり申請者の同一性について必要な確認をした上で支給を行っているのであるから、各支給は有効にされたものというべきである。

第五 当裁判所の判断

一  太郎の死亡後、平成五年六月一一日に至るまでの経緯

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

平成五年三月二五日

太郎死亡。関西医科大学附属病院石倉宏恭医師から原告に対して、死亡診断書が手渡され、以後原告がそれを保管することになる。太郎の葬祭執行は原告が行うことになった。なお、太郎は生前原告の歯科医院の経理事務を担当しており、その被爆者健康手帳、年金関係書類は原告が保管していた。

同年三月二六日

原告に対して、火葬許可証が交付され、以後原告がそれを保管することになる。

同年三月二七日

原告を葬祭執行者として太郎の葬儀が執り行われる。

同年四月二三日

一郎から原告に対して、次のような内容のファクシミリが送信される。

「四月二九日には法要で大阪に行く予定です。(中略)折角、大阪まででかけるのですから、翌日は広島まで足を延ばして、国民健康保険の手続きをしてきたいと思っております。(中略)つきましては以下のような書類を送って戴けませんでしょうか。送らなくても二九日に用意して戴ければ幸いです。

国民年金証書 甲野太郎、甲野花子名義分

被爆者手帳 甲野太郎名義分

老人医療受給者証 甲野太郎名義分」

同年四月二七日

一郎から「甲野歯科診療所 甲野二郎」名義の普通預金口座(第一勧業銀行大和田支店口座番号××××)に太郎の葬儀費用のうち同人の負担分八七万四三三〇円の振込があった。原告は一郎に対して右通帳の表紙の写しを送付していた。

同年四月二九日

太郎の法要後に、一郎は、原告が経営する歯科医院を訪れ、依頼してあった証書類を原告から受け取った。

同年四月三〇日

一郎は、広島市西区役所において、太郎を世帯主とする国民健康保険被保険者証を提出して、世帯主を太郎から花子へと変更する手続を行い、同人に対し、花子を世帯主とする国民健康保険被保険者証が新たに交付された。

同年六月一一日

一郎及び花子は、その当時両名が居住していた愛知県半田市の自宅から広島市西区役所に赴き、本件各支給申請手続を行った。なお、その当時の原告の居住地は大阪府門真市である。

二  平成五年六月一一日申請時の状況について

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

一郎及び花子は、平成五年六月一一日、広島市西区役所厚生課厚生係受付窓口において、原爆被爆者葬祭料支給申請書(丙三、同申請書には、原告が現に使用している第一勧業銀行大和田支店の口座番号及び原告の当時の住所である兵庫県伊丹市大鹿町が申請者の住所として記載されており、口座振込通知書の要否欄には「要」に丸印が付されている。したがって、この申請がそのまま受理されていれば、本件葬祭料は原告が現に使用している口座に入金され、その旨が原告本人に通知される可能性がある。)に、死亡診断書の写し(〔証拠略〕)、死体火(埋)葬許可証の写し(〔証拠略〕)、「甲野歯科診療所甲野二郎」名義の普通預金通帳の写し(〔証拠略〕)及び太郎の被爆者健康手帳をそれぞれ添えて提出し、右預金口座に本件葬祭料を振り込むように求めた。また、右手続後、一郎らは、厚生係受付に隣接する厚生課保険係受付窓口において、国民健康保険葬祭費支給申請書を提出し、本件葬祭費の振込について同様の扱いを求めた。

ところが、本件葬祭料等は申請者個人名義の預金口座に振り込む取扱いとなっているところ、振込先として指定された右預金口座の通帳の名義人は「甲野歯科診療所甲野二郎」となっていたため、一郎らは、右厚生係受付窓口において、岡綺美沙子から右預金口座には本件葬祭料を振込できないこと及び肩書きの付されていない甲野二郎個人名義の預金口座を示すように指示を受けた。そこで、一郎は、新たに原告個人名義の預金口座を開設することにし、広島銀行己斐支店近くの店舗で「甲野」との印章を購入した上、これを届出印として同支店において原告個人名義の普通預金口座(口座番号××××)を開設したが、この口座開設申込書の住所には一郎のそれである愛知県半田市青山町が、自宅の電話番号欄には一郎のそれがそれぞれ記載されている。その後一郎が開設した口座の口座番号等を岡崎らに電話で連絡し、その口座を振込先とする本件葬祭料申請書(〔証拠略〕)、本件葬祭費申請書(〔証拠略〕)が岡崎らによって作成された。

三  検討

1  原告は一郎らに対して本件各申請手続を依頼したか。

先に認定したとおり、一郎は本件各申請を行うに当たり、火葬許可証の写し、「甲野歯科診療所甲野二郎」名義の普通預金通振の写し及び被爆者健康手帳を提示しているところ、太郎の葬祭執行者は原告であり、太郎の被爆者健康手帳を保管していたのは原告であったのであるから、写しを含むにせよこれらの書類を一郎らが所持するについては原告の承認がなければ困難であると考えられること、現実に本件各申請を行ったのは申請権者である原告の実兄と実母(死亡者の妻)であること、一郎らが当初提出した申請書がそのまま受理されていれば、本件葬祭費等は原告の預金口座に振り込まれ、かつ、その旨が原告本人に対してはがきで通知されていたこと、からすると、一郎らは原告から原告に代わって本件各申請を行うについての承諾を得ていたとも考えられる。

しかし、一郎は、その尋問に対して、本件申請手続をすることを原告から依頼されたかどうかに関しては次のような曖昧な返答しかしていない。

「申請に行かれたのは結局、二郎さんに頼まれたということですか。違うですか。

私は頼まれておりません。

では、どうしてあなたが行くことになったのです?

ですから、母が行くという話でついて行きました。恐らく、頼む頼まないの、ただ、家族で三人で、申請の話をして、書類をもらって、ですから、合意と、頼まれていると、いうふうに感じております。だから、どこかで、お願いしますという言葉を聞いたか聞かないかと言われますと、聞いたことはございません。

(中略)

つまり作れるか作れんか分からんけれども、新しく預金通帳が作れれば、それはそれでいいよという、そういう二郎さんからの話、やり取り。

いや、いいよと言ったかどうかは記憶にありません。私が作れれば、これは払い込んでもらえそうだと。

ああ、いうような話をした。

はい。

そうすると、それに対してはどうだったんですか。

何もなかったです。」

以上のとおりである。

また、被爆者健康手帳については、一郎が平成五年四月二三日に原告に対して依頼したことに応じて原告が一郎に送付したものと考えることもでき、火葬許可証の写し等については、一郎らと原告との関係からすると、それらを一郎らが所持していることは必ずしも不自然ではないし、原告が真に一郎らに申請を依頼しているのであれば、被爆者健康手帳と同様に火葬許可証等についてもその原本を交付するのが自然であろう。

以上の諸点を総合的に勘案すると、本件において、原告が一郎らに本件各申請の代理権を授与したことあるいは自己の使者として申請行為をすることを承諾したと認めるに足りる的確な証拠はないものといわざるを得ない。

よって、この点に関する被告らの主張は採用できない。

2  被告らは、申請権者の同一性確認についての注意義務違反が存しないことを理由として本件各葬祭費の支給が原告に対する関係で有効にされたことを主張することができるか。

(一)  公法関係と表見法理

表見法理は、原則的には対等当事者間における権利関係を衡平の観点から調整することを目的とするものであり、そのような前提条件を有しない行政処分には一般的には妥当しない法理である。しかし、このことは、国民の権利利益を制限するような侵害的行政処分についてはそのまま妥当するとしても、本件のような社会政策的給付行政処分については別の観点からの考慮も必要であり、一定の場合には表見法理の適用を肯定することができるものと考えられる。なぜなら、本件のような金員給付を内容とする処分においても侵害的行政処分におけると同様に表見法理の適用がないとすると、行政庁の側に本人確認について注意義務違反がないにもかかわらず、給付は効力を生じないこととなり、行政庁は真の権利者に再度の給付を余儀なくされることとなる。しかしながら、このような結果は、私法上の契約関係において、受領権限を有しない者に対して弁済が行われた場合であっても、一定の場合には弁済が有効になる(民法四七八条、四八〇条)ことと比較して正義・衡平の理念に反する場合があり相当ではないからである。

ただ、給付型行政処分といっても多種多様であり、一律に表見法理を適用した場合には、かえって本来の受給権者にとって正義・衡平の理念に反する場合もある。したがって、表見法理を適用するに当たっては、行政処分の目的、内容及び種類、給付される金額の多寡、給付申請手続の性格、受給権者の認定あるいは決定方法等を総合的に考慮し、当該行政処分に当たって、行政庁が要求される注意義務を尽くしたか否かを検討するとともに、受給権者の帰責性の有無及び程度を斟酌するのが相当である。

(二)  本件へのあてはめ

本件葬祭費及び葬祭料の支給は、葬祭執行者に対して行われるものであり、葬祭執行者は遺族らにおいて任意に定めることができるのであって、行政庁において受給権者の資格要件を厳格に認定することが前提となる公的給付とは性格を異にすると考えられる。

また、本件における給付の額は、金四万円及び金一四万円であり、その額は必ずしも多額ではない。さらに、本件と同様の給付申請は、その性質上、珍しいものではなく、申請数は相当のものとなるであろうことが推認できる(証人篠原正枝は、広島市国民健康保険条例に基づく葬祭費の支給件数は月約五〇件と、証人岡崎美沙子は、原子爆弾被爆者葬祭費支給件数は月約三〇件とそれぞれ述べている。)。そして、本件各申請に際して一郎らは、死亡診断書の写し、申請者が原告と記載されている火葬許可証の写し、「中野歯科診療所甲野二郎」名義の預金通帳の写し及び被爆者健康手帳原本を提示している。確かに、本件において、被告らの担当者は死亡診断書等について原本確認をしていない。しかし、前記のような本件支給の性格及びその給付額がさほどではないことに加え、死亡診断書等については、その写しであっても、葬祭執行者本人又はその親族等一定範囲の者でなければこれを所持していることは通常では考え難いこと、被爆者健康手帳については原本を確認していること、などからすると、被告らの担当者は本人確認について要求される注意義務を尽くしたものと認めるのが相当である。

他方、原告は一郎に対して被爆者健康手帳の原本を交付し、自己の預金通帳の表紙の写しを送付しており、一郎が本件各申請を行うにつき、一定の原因を与えているし、現実に申請を行った者は原告の実兄及び実母である。

以上の諸点を勘案すると、本件各支給については表見法理を適用するのが相当であり、本件各申請に応じて被告らが行った各給付は原告に対する関係で効力を生じたというべきである。

そうすると、本件葬祭費及び葬祭料が支給済みであることを理由にされた本件処分一、二はいずれも適法な処分であることになる。

四  結論

よって、原告の本件各請求は理由がないからこれらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤誠 裁判官 谷口安史 富岡貴美)

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